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そして純子が聴覚障害ということを、医師から宣告されてからは、純子によいということのためには、純子の兄姉を犠牲にしようとも、見知らぬ土地までも訪ね歩きました。そして、多くの方と出会いました。
真剣にぶつかる私に、初対面の人でも心温まる言葉、勇気づけられる言葉をいっぱい頂いたものでした。
「聞こえていますよ」という言葉に誘われて、我が家には超高価な卓上補聴器を買ったこともありました。でも補聴器は私が上手に使いこなせなかったけど、売ってくださったお店は、私の心をしっかりとっかんでいたのです。少々、苦い思い出ではありますが、そうしたことも大切な経験でした。
とにかく、いろいろな経験をし、また東京へも出かけて行った体験は、その後の私に大きな力となって貯えられました。
ろう学校でのことは、皆さんの文集を読ませて頂いて、「皆さん、同じ道を歩かれたのですね」と、深くうなづくことでした。ろう学校へ通ううちに手話講習会があり、学校では口話法なのに、親は手話講習会へ通うという妙な事実を経験しました。
純子への手が離れるころ、ホームヘルパーを仕事に選びました。純子が九歳、私が三十二歳のときでした。
手話講習会で聴覚障害者との出会いができました。娘以外の聴覚障害者、それも成人との出会いをもって、この障害の特異生を知ることができました。

 

 

 

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